02


たいしたことじゃないと前置きをして話し出した黄瀬の話を聞きながら、笠松は黄瀬がこうなった…気落ちした原因に気付いて、ちっともたいしたことなんかじゃなくねぇと黄瀬の耳朶に唇で触れながら腹を立てた。
むしろ、その場に笠松がいたら声を大にして言ってやっただろう。

「何も知らねぇ癖に」

「んっ…センパイ…?」

耳朶を擽った吐息に黄瀬はぴくりと肩を揺らして、笠松を見つめる。
笠松はそんな黄瀬を見つめ返して身体を少し離し、手触りの良い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。

「お前が片手間の遊びなんかじゃなくてバスケもモデルも両方頑張ってることは俺が良く知ってる。俺だけじゃなくてうちの奴らはちゃんと知ってる。だから…迷惑なんかじゃねぇよ」

ジッと絡んだ琥珀色の瞳に唇を寄せ、笠松は薄墨色の双眸を柔らかく和ませ力強く言う。

「誰に何を言われようとお前が気にすることはねぇ。お前は堂々と胸張ってりゃいい」

擽ったそうに、唇を寄せた瞳をゆるゆると細めて擦り寄ってきた黄瀬の頭を笠松は抱き寄せて腕の中に閉じ込める。

「お前がさっき言ってたのと同じことだ。雑誌だけ見てソイツの性格まで分からねぇように、お前の上部だけ見て詰ってくるような奴にお前が心を揺らす必要はねぇ」

知らねぇ奴には言わせとけ。
けどそれでお前が傷付くことはねぇ。

「…っス」

「お前のことは知ってる奴だけが知ってれば良い」

「ん…じゃぁ、センパイ達が?」

抱き締めた腕の中からもぞもぞと顔を上げた黄瀬は赤く色付いた頬を緩めて笠松を見上げる。

「そうだな、少しもったいねぇけど」

「もったいない?」

何が?ときょとんとした顔を晒す黄瀬の頬に指先を滑らせ、笠松は黄瀬の頤に指をかけた。

「小堀達だから良いけど、お前のことは俺が一番知ってたい」

「〜〜っそんなん、俺だって一緒っスよ」

ぶわわっと顔を真っ赤に染めて黄瀬はもごもごと口ごもりながら笠松へと告げる。

「幸男センパイのことなら何でも知りたいし、俺が全部独り占めしたいっス…」

互いに零れ出た真っ直ぐな気持ちに同じことを思ってるんだなと、自分だけが知る可愛い恋人の可愛い独占欲に笠松は笑みを溢した。

「涼太…。こんな俺知ってるのお前だけだぞ」

そして、可愛い恋人の独占欲を満たすように、黄瀬だけに向ける甘い眼差しと声音で囁き唇を重ねる。

「ん、せんぱいも…」

自分だけに向けられる笠松の甘い声と顔を見つめながら、黄瀬はふにゃりと嬉しそうに笑み崩れて応えるようにそっと瞼を下ろした。








「せんぱーい…」

「ん…ほら」

しばらくの間ソファでベッタリと笠松にくっついて、抱き締められたり、頭を撫でられたり、戯れるように唇をくっ付けたりとめいっぱい笠松に甘やかされて黄瀬は幸せだなぁとゆるゆると頬を緩めた。
沈んでいた気持ちなど笠松を前にあっという間に吹き飛んでしまった。
笠松の言葉には何か力があるんじゃないかと黄瀬はいつも思っている。
だって笠松の言葉はいつだって黄瀬の中へと気持ちが良いくらいにストンと素直に落ちてくる。

確か始めに落ちてきたのは“海常の黄瀬”だった。それから“海常のエース”と、笠松がくれる言葉は知らない内に黄瀬にとって特別なものへと変わっていた。
つい最近では新しく“うちの子”と言われた。
うちの子=海常バスケ部の。
つまり今、海常バスケ部を纏めているのは主将である笠松だから、黄瀬は笠松のということになる。

「ん〜…幸男センパーイ」

すりすりと甘えるように擦り寄った黄瀬のこめかみに唇が落とされ、黄瀬は目元を赤く染めるとふにゃりと笑う。そんな黄瀬を腕の中に抱き締めながら笠松はふっと口を開いた。

「そうだ。お前、今から外に出られるか?」

「…?別に大丈夫っスけど?どっか行くんスか?」

「あぁ。お前のこと、心配してる奴らがいるから」

ぽんぽんと背中を優しく撫でて黄瀬を腕の中から解放して笠松はソファから立ち上がる。
釣られるようにして立ち上がった黄瀬に笠松は笑いかけ、んじゃ出掛けるかと玄関に向かった。








マンションを後にして、笠松と並んで歩いていた黄瀬は見慣れた景色と耳慣れた音を耳にして驚いたように隣を歩く笠松を見た。

「え…ねぇ、センパイ。ここって…」

そこは黄瀬の住むマンションから程近くにあるストバス場。
聞き慣れた音はボールの弾む音……と。

「あっ、キャプテーン!む、黄瀬も一緒か!」

「おー、来たか。笠松」

こちらに気付き、リング下でぶんぶんと手を振り大きな声を出して呼ぶ早川。
スリーポイントラインに立って振り向いた森山。
その隣にいた中村が振り返り軽く会釈をする。
コートの外に設置されたベンチの上にはそれぞれの荷物が置かれていて、一人休憩でもしていたのか小堀がその側に立っていた。

「笠松、黄瀬」

「小堀、メールありがとな」

「えっ、ちょっ…笠松センパイ!何?メール?どーいうことっスか?何で皆揃って…」

いきなりのレギュラー陣集合の図に戸惑う黄瀬に笠松は小さく笑うと、黄瀬を見て種明かしをしてやる。

「お前のメールな、俺じゃなくて小堀に届いてたんだよ」

「は?えっ…嘘っ!?」

慌ててスマホを取り出して確認した黄瀬は送信済みのボックスからメールを呼び出して、宛先を確認してみるみるうちに顔を真っ赤に染めた。

「まじっスか…、は、恥ずかしいー…」

小堀に宛てて会えないかとメールを送っていたとは。確かに小堀も笠松も宛先を選ぶ時にカ行にその名前は並ぶ。
耳まで真っ赤に染めて思わずその場にしゃがみこんだ黄瀬に小堀は苦笑を浮かべてフォローに回る。

「大丈夫だよ。すぐに笠松宛だなって分かったし。黄瀬が気になるなら後で消しておくから」

「う〜っ、本当、スイマセンっス!」

「で、小堀からそのメールが転送されてきて俺はお前に電話したんだよ」

しゃがみこんでしまった黄瀬の頭をよしよしと笠松は撫でながらその後の経緯を話し続ける。

「そん時、森山も一緒にいたみたいで森山からも電話もらったんだ。お前のこと心配してたぜ」

「センパイ…」

困ったように笑う小堀とコートの中で早川と中村の相手をしている森山をちらりと見て、黄瀬は心がほわりと温かくなるのを感じた。

「そのあと、黄瀬の家の近くでストバスする予定だから来れたら黄瀬連れて来いって森山がな。早川と中村がいるのには俺も少し驚いた」

「はは…それはね、森山が招集かけたんだよ。人数がいた方が楽しいだろって」

三人の視線の先ではリングに弾かれたボールを嬉々として早川が取りに行く姿、それに森山と中村が一言、二言声をかけている。そのうち森山がコートに背を向け、笠松達のいるベンチの方へコートから抜けて近付いて来た。

「あー…俺も休憩。代わりに黄瀬、お前入って来いよ」

森山はしゃがみこんでいた黄瀬に目を向けると名指しで指名して拒否権も与えずに、コートの中へと黄瀬を追いやる。

「ちょ、いきなり何スか。俺、今ちょっと感動してたのに」

「は?…何にだよ?」

本気か嘘か分からない森山の態度に黄瀬は残念そうに小さく溜め息を吐いて、ちらりと笠松を見ながら立ち上がった。
送られる二つの視線に気付き、笠松は黄瀬の背中をポンと叩いてコートの方へと押し出す。

「俺もすぐ後から入るから。お前は先にコート入って身体動かしてろ」

その時こちらの声が聞こえたわけではないだろうが、タイミング良く中村が黄瀬を呼んだ。

「流石に早川相手に俺だけじゃ疲れる。手伝ってくれ黄瀬」

「いいっスよー」

お先に行ってきます!と笠松に言い、黄瀬は中村と早川の元へと駆けていく。
その背中を見ながら森山が僅かに声を潜めて口を開いた。

「で?解決したのか?言いたくなきゃ言わなくてもいいけど」

森山の言葉に小堀の意識も笠松へと向けられる。
コートに入り、中村からパスを貰った黄瀬は生き生きとした表情でドリブルを始めた。誌面では決して見られない、心を許した者だけが見れる無邪気な輝き放つ黄瀬の横顔を笠松は眩しそうに瞳を細めて見つめた。

「黄瀬に急に仕事が入ったの、お前らも知ってるだろ?」

リング下で早川と対峙する黄瀬の楽しそうなその姿を森山と小堀も目で追いながら、話し出した笠松の言葉に二人は耳を傾けた。笠松は黄瀬から聞いた話と黄瀬が何を気にして、気落ちしていたのかを無関係とはいえない二人に包み隠さず話した。

「…馬鹿だな、黄瀬は。迷惑って何だよ。俺達がいつそんなこと言った」

話を聞き終えた森山と小堀は案の定、しょうがない奴と呆れたように肩を竦めた。

「むしろ黄瀬は頑張りすぎてるよ。少し手を抜いてもいいぐらい」

「だったらバスケに誘ったのは失敗だったか」

休ませるべきだったかと真面目な顔で思案する森山に黄瀬を連れて来た笠松は首を横に振る。

「いや、良かったんじゃねぇの。楽しそうだし、夜しっかり睡眠とらせれば」

身体の疲れは身体を休めればとれるだろうが、精神的な疲れは眠るだけではとれないだろう。
例えば話を聞いてやったりだとか、身体を動かしたりだとか、方法は人様々だがコートの中に立つ黄瀬の場合は両方効果がありそうだ。

「なら、いいけどさ。やっぱ華やかな業界に見えても裏ではどろどろしてんのかー」

眉をしかめた森山はそこでふと口許を緩める。

「それに比べてうちの子は可愛いかったな、小堀」

「あ…?」

「あぁ…うん、特に早川がね」

いきなりの話題転換に早川が可愛いとは何の話だ?と笠松は訝し気に森山と小堀へ視線を移した。

「電話でストバス行くって言ったろ?あれから黄瀬の事は伏せて、早川と中村に電話したんだよ」

何故かそこで森山は得意気に胸を張る。続きを小堀が苦笑を浮かべながら引き継いだ。

「そうしたら早川、森山の誘いに凄く喜んでさ、今直ぐ行きます!って飛んで来たんだよ。早川は声が大きいから側にいた俺にまで早川の嬉しそうな声が聞こえてきてたよ」

その早川の素直さと先輩へのなつき具合が可愛くて良いと森山は宣った。
リング下では早川がイッバーン!と相変わらずラ行をすっ飛ばしてボールに向かって跳んでいる。

「素直といえば中村も怪しみつつ出て来たね。中村は勘が良いからもしかしたら何か気付いてるのかも知れないけど」

怪しみつつって言うのは森山からの電話だったから。またナンパの誘いかと警戒した為だろう。
早川から中村へボールがパスされる。
中村がオフェンスで黄瀬がディフェンスか。
ターン、ターンと中村の手の中でボールが弾む。

「中村の奴は失礼だな。俺だって毎日ナンパしてるわけじゃないぞ」

「それでも中村も来てくれたんだから」

中村と黄瀬の1on1が続く。
黄瀬に勝てなくとも、中村も伊達にレギュラーを張っているわけではない。粘って粘って黄瀬にボールを弾かれる。
攻守が入れ換わり、今度は黄瀬がボールを持った。
口端に笑みを浮かべ、好戦的な眼差しで黄瀬は中村と対峙する。

「まぁ…お前の可愛いは黄瀬限定だから分からないかもしれないが」

「はぁ?何言って…」

「自覚無しか。こうやって話してるのにお前の視線、黄瀬の方に戻ってるぞ」

フェイクとドリブルを駆使し中村を振り切った黄瀬は次いで早川を抜き、ぐんっと地面を蹴ってレイアップシュートを決めた。

「…っしゃ!」

「あー、くっそー!黄瀬ぇ!もう一回!」

騒ぐ早川の側でシュートを決めた黄瀬とコートの外にいた笠松の視線がパチリと重なる。無意識に黄瀬を追っているという森山の言葉に、笠松はあっ本当だと納得した。
絡まった琥珀色の瞳が見開かれ、ふにゃりと可愛く崩れる。

「センパーイ!一緒にやりましょーよ!」

ぶんぶんと手まで振って黄瀬は笠松を呼ぶ。ボールを拾った中村も早川も一旦手を止めて笠松達の方を向く。三人ともが笠松達が来るのを待っている様だった。

「なぁ森山。確かに俺の可愛いは黄瀬限定だけど、早川と中村も後輩として可愛いと思ってるぜ」

「おい、然り気無くのろけるのは止めろ。俺がムカつくから」

「まぁまぁ…笠松も森山も。ほら、可愛い後輩三人が待ってるから」

小堀に促されコートに入った笠松は真っ直ぐに黄瀬へと歩み寄り、森山は中村の元へ行く。小堀が早川に付き、笠松が口を開く。

「3on3だ。いいな?」

目の前で足を止めニッと不敵に笑った笠松に、黄瀬はどきりと胸を高鳴らせ、センパイ格好良い…とうっとりしつつ頷き返す。

「オーケーっス」

中村も早川も頷き返し、笠松は森山と小堀に目配せをしてすぅと息を吸い込んだ。

「っし!じゃぁ始めるぞ!まずは一本!…負けた方がジュース奢りな」

「笠松ー、俺、アイスが良いー」

「森山先輩、笠松先輩も。先輩達は後輩にたかるつもりですか?」

「なに言ってんだ、なかむぁ!おぇ達が勝てば良いだけだ!」

「そうっスよ、中村センパイ!俺はジュースでも良いっスよ」

「それじゃぁ勝った方が好きな物を、負けた方に奢って貰うってことで良いんじゃないか?」

最後に小堀が上手く纏めて、賭けるものが決定する。
バスケ馬鹿に負けず嫌いと気心の知れた面子という相乗効果か、遊びのはずのバスケはいつの間にやら真剣勝負へと変わっていた。

「やるからには勝つぞ」

「俺達だって負けねっスよ」

そうして唐突に始まった3on3。
笠松は得意のターンアラウンドを繰り出し、黄瀬は抜かれまいと琥珀色の双眸を研ぎ澄ます。

「笠松!」

「黄瀬!」

先輩組対後輩組の勝敗は、本人達以外にストバス場から程近くにあるコンビニの、アルバイト店員だけが知ることになる。







end



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